風立ちぬ

映画、風立ちぬを見てきました。(ネタばれありかな?)
私はテレビをほとんど見ないから、予告すらまともに見ていない、本当に前情報なしで見に行ったんやけど、めちゃくちゃいい映画でした。
何でも、涙で感動の量を測ったりするのは嫌やけど、ほんまに号泣してしまった。映画であんなに泣いたん久しぶりやった。胸を打つって表現があるけど、本当に打たれたような感覚だった。
矛盾を抱えながらも、まっすぐに生きる姿が、人間そのものという感じがした。
主人公の二郎が、言葉数が少なく淡々としている。それが好きだった。私は言葉というのが苦手で、(と言いつつブログ書いてるんやけど苦笑)というか言葉だけから受け取る、決め付けられた感じがかな?でも二郎には言葉の余白みたいなんがあって、それを感じながら見るのが楽しかった。この映画批判もたくさんあるみたいだけど、人間が作っているから何もかも自分が思っているように上手くきれいに一致することなんてないし、むしろそこは自分の経験で想像したり考えたりして作りたい。見えない部分やおかしいなと思う部分なんて軽く越えてしまう、それ、があれば十分なんじゃないかあ。映像もほんまにきれいやから揺さぶられるものがあった。風が本当にたくさん出てくるんですが、めちゃくちゃ素敵なんです。ユーミンの歌もこの映画のために作ったんじゃないかって思ってしまうくらいいい。

と、まあいろんなことが気になって、見終わった後にネットでいろいろ調べたりしたらより深く気になってきたし、時代背景なんかもよりわかってきた。
中でも気になったのが、この映画の最後のシーンで菜穂子が「生きて」というシーン。本当は「来て」だったらしい。(アニメーションは同じ)彼岸にいる菜穂子が生きてというのか来てというのか大きな差が出る表現。鈴木敏夫宮崎駿は、「来て」にしたかっただろうなと言っている。
宮崎駿が主人公に自分を投影していた姿であれば、来てと言ってほしかったんだろうなと思うとまた考えさせられる。それでもみんな生きていくしかないんですね。
この時代の人たちみたいに少しでも周りを見て考え、覚悟を持って生きていきたいなと思いました。


いろんなことをもう一回考えて、公開中にもう一回見に行こうと思う。